私が開院した理由

ケガに泣いた学生時代

わたしはケガで陸上競技を挫折しました。
そのときの悔しさは今でも忘れられません。

中学時代のオスグッドからはじまり、シンスプリント、ひざ、股関節、
足首…たび重なる故障に嫌気がさし、陸上部を辞めてしまいました。

もちろんケガを治すために、いろいろな治療を受けました。
父が治療家の道に入ったのもこの頃です。

整形外科をはじめ鍼灸院や整体院などを巡りましたが、
どこに行っても言われることは、

「休まないと治らない」

です。

それが常識であることは、高校生でも十分わかります。

でもわたしは休みたくなかった、一日も早く復帰したかった、
そして2度と故障しない方法を知りたかった。

その想いに応えてくれる治療家はいませんでした。

父がカイロプラクターとして開業し、その理論と哲学の概要を
聞いたとき、父がもっとはやく開業してくれていたら…

と思いましたが後の祭りでした。

 

岩国市で接骨院を開院

名倉堂での7年間の修行を終え、平成11年に
山口県岩国市で「ヨシハラ整骨院」を開院しました。

開業して実感したのは「外傷が来ない」ということです。

修行した接骨院では毎日のように骨折、脱臼を診て
いましたし、患者さんが「肩こりを…」と言おうもんなら、
「うちは肩こりは診ねえ!」と追い返す師匠でした(笑)

わたしも師匠にならい「肩こりは診れません」と断って
いたんですが、慢性症状を訴えて来院する方があまりにも
多く「保険を使わないのでよければ」と診るようになりました。

 

父に弟子入り

しかしケガの治療しかしてこなかったために、肩こりを
はじめとする慢性症状のの治療がわからなかったんです。

それでよく開業したもんだと、我ながらあきれています。

父親への反発心から「自分の力でやってやる」という
ちっぽけなプライドがあったので、親子で治療家でありながら、
それまで、父から教えを請うことがなかったのです。

自分の力の無さを知るとともに、自費診療で20年以上
治療院を運営する父の実力を認めざるをえませんでした。

そして、父に頭を下げて整体を学ぶことにしました。

父から整体を学ぶことで、外傷治療にも活かすことができました。
また人間の身体の持つ力の素晴らしさを知ることができました。

もっとはやく父に学べばよかったのですが、
親子ではなかなか素直になれないんです(笑)

遠回りをしましたが、今思えば必要な苦労だったのかもしれません。

 

親子2代で

父とお互いに補い合うことでより多くの方のお役に立てると考え、
平成20年に保険診療を終了し父の治療院に合流しました。

いまだに親子喧嘩はしますが、父を超えることが親孝行だと思っています。

現在は、古式筋膜療法を学びながらさらなる成長の途上です。

3人の息子たちに目標とされるような、
立派な治療家になりたいと思っています。

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